On The Right Track
エッセイ

text:オカッコ

人は鑑賞した作品をどのように、消化しているのだろう。消化の仕方は本人次第、作品次第。この疑問を2007年の3月から5月までの自身の鑑賞作品を例に検証。さらりとお読み頂き、ご自身の最近鑑賞したものを同時に思い出して頂ければ幸い。では、お付き合いをお願い致します。




3月17日
 伯母からのお誘いで、地人会第104回公演、宮本 研/作、木村光一/演出の「ブルーストッキングの女たち」を鑑賞。舞台の時代は大正時代。女性解放を掲げた雑誌「青踏」の創刊に奔走した平塚らいてう、伊藤野枝、平等な社会を作ろうと無政府主義運動に奔走した大杉栄らが中心となり物語りが展開されていった。当時の社会のシステムに違和感を覚え 、新たな理想の実現を求めた彼ら。全力で取組むものの、理想は開花されることなく、時代の変遷へと飲み込まれていった。舞台のラストでは、甘糟憲兵隊に、伊藤野枝、大杉栄は捕らえられ虐殺された。どうすれば飲み込まれることなく、理想を具体化出来たのだろうか。



3月19日、21日
旗揚げ当初から大好きな劇団、イキウメの前川知大/脚本・演出の「狂想のユニオン」を鑑賞。19日は、誤認のため開演30分過ぎに会場入り。最初の30分を逃したのが惜しく思え、21日に再度、同じ舞台を見に吉祥寺へ。途中、からすの糞が頭にかかるハプニングに出会い、いったん家に引き返すが、ぎりぎり開演時間に間に合う。物語の主人公達は、現実の社会では自分の思うように生きていくことが出来ない人々。ストーリーが展開する舞台上では、だれもが現実とは違った理想の自分になっている。 ある人は市長、ある人は保安官、ある人は精神科医、ある人は大学教授。各々の願望から出来上がる非現実的な歪んだ空間。鑑賞するに従って、自分が日常、目にしているもの総べてを疑ってしまいそうになる。全く変な気分だ。物語の主人公達は、願望を叶える場所へ行かずとも、日常を願いの通り過ごせることは出来ないのだろ うか。出来ないから歪んだ奇妙な空間へと彷徨ったのだろうけど。



3月27日
お誘いを受け西巣鴨へ。レバノン人、アーティストのファディ・トフィーク、ラビア・ムルエ/脚本、ラビア・ムルエ/演出。「これがぜんぶエイプリールフールだったなら、とナンシーは」を鑑賞。政局が複雑なレバノン社会が抱える問題を様々な立場の人々の立場から捉えた作品だった。只でさえ中東の政治はややこしい。失礼ではあるが、レバノンの情勢なんて普段の私の生活から知る由もない。予備知識がないまま鑑賞したので理解するのは難解。しかし、メッセージはシンプル。1つの事象にあるのは、1つ の答えではない。ニヒルなラストに、「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ」のチャーリー・チャップリンの格言を思い出す。レバノンで人々が、平穏に暮らせる日はいずれ来るのだろうか。それにしても、レバノン政局のシステムは複雑極まりない。平和に暮らすという気持ちはシンプルなは ずなのに。

舞台終了後、ラビア・ムルエを交えてのディスカッション。始まったと同時に、司会の日本人が「もう公演も千秋楽で私達も舞台について話すのにもう飽きてしまいましたから」の前振りのみで、「何か質問のある方?」と客席に問いかけてきた。客席に質問を考えさせるだけのヒントや時間を与えなかったためか、「 レバノン」という普段慣れない国が舞台であったためか、まともな質問が出てくるまでに時間がかかり、客席はもちろん、アーティストも困惑していた。鑑賞者の自発的な質問や意見が、導入口なしで自ずと出てくる日は近いのか遠いのか。
 


間を挟んで1ヶ月後の5月。



5月19日
映画、「赤い文化住宅の初子」、タナダユキの最新作を鑑賞しに渋谷へ。主人公は中学生。(ラストでは中学を卒業してるけれど。)中学生視点からではなくて、大人視点から中学生の純粋な気持ちを描いているから、見ていて痛々しかった。中学時代はまだ純粋だ。自分のいる環境の仕組みをまだ明確に把握していな い。それでこそ希望を抱き続けていられたり。把握していないから、不器用な選択しか出来なかったり。



5月26日(余談 その1)
中学からの5人グループの一人の結婚式当日。

昨年、ゴールインテープを切った1人を皮切りに、今年は3人が結婚決定。みんな家庭という枠に入っていく。「みんな結婚していくなあ」。中学からの仲間内ばかりが固まる披露宴でのテーブルで呟くと、「結婚する気あるの?」あんたないでしょが含まれたニュアンスで、結婚する4/5の内の1人に聞かれた。「うん 、(まだ)ない」。二人して失笑。 披露宴の後、二次会に出席。あまのじゃく気質から中学・高校 時代は4人で集まっている時に誘われても断っていた時もあったけど、久々の再会を素直に楽しんでいたら、狙っていたipodシャッフルを当てた。案外、直面する状況を拒むのではなく受け入れた方がことは自分の思う方へスムーズに行くことがあるのかもしれない。



5月28日(余談 その2)
ipodシャッフルで、音楽を聞きながら出社。上司には、相変わらず「早く結婚しろ」。と言われる。相変わらず「片付けておいて」。自分が散らかした資料、ファイルの整理整頓を要求される。結婚したから幸せになるという図式は本当にあるのだろうか。ipodシャッフルを当てても、日々の疑問は残る。

主流の図式に当てはまらないがゆえに、フラストレーションと出会わざる終えない時、その状況を受け入れるか拒むか。どちらの方が方がスムーズにいき、より良い結果が出せるのだろう
と、4月5月の鑑賞作品と重ね合わせて考えている。流れるがままに身を委ねていたらどこへいくことやら。



2ヶ月挟んで7月。



7月2日
友人数名に4月から5月までの上記感想のコメントを貰う。

「まだまだ消化されていないことは、いっぱいあるみたいだね。矛盾することって多いしさ。でもね、作品と比較して、現実を見るのもいいけど、現実を思う存分に経験して自分なりの答えをだしたっていいじゃない。生きている世界は、作品の中じゃなくて、あんたの中にあるんだから」。
(親友Oのコメント)

「現実を理解するのは、やっぱり色んな経験を通じてしか見れないから、作品を見ることによって理解するのはいいことじゃないのかなあ。現実だけを直視しようっていうのは絶対無理なことだと思う。自分の中だけで、見るのには限界があると思う。何かの例を見て、世界を比較するのはいいことだと思う」。
(親友Kのコメント)

「ただ見て、そのまま終わるんじゃなく現実の社会と結びつけて物を考えるっていうのは大事なことだと思うよ。見るものを通して、日常のことを考えるのはいいことだと思う」。
(親友Aのコメント)


「俺に聞いたってしょうがねえよ。悪いことしか言わねえから」。
(親友Uのコメント)



9月末日(余談 その3)
休日に自転車にて外出。帰宅後、気がつけば走らせている時に聞いていたipodシャッフルをいつの間にか落としていた。紛失した悲しみはあったものの、努力なくして手に入れたものであったので悔しさは一切なかった。



11月
数ヶ月間の記述を読み直し、結論を出す。臭いけど、努力なくして手に入るものはなにもなし。全ては日々の積み重ね。克服できる壁は乗り越えたい。然るべき溝に沿ってないと不協和音。沿っていると、心地良い音色が奏でてくると思う。どうかレコードの盤面に針が然るべき溝を滑らせていくように、正しき溝に沿っていますように。願わくば、聞こえる音はオン・ザライトトラック。
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by art-drops | 2007-11-15 02:10 | エッセイ
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