6月:頭=まとめる(バランス)力 芸術プロデューサー/藤城里香さん
c0103430_043158.jpg辞めなかった理由?やっぱり、作家ですね。


約11年ものギャラリー勤務を経て、藤城(ふじき)里香さんは友人とふたりでクリエイティブオフィス、無人島プロダクションを立ち上げた。そのバイタリティーある活動の源とは? また、作家や会社をうまくマネジメントする「頭」の秘訣を探るべく、藤城さんの半生に迫ってみた。





■ 秘書課勤務からギャラリストへ
1970年、藤城里香さんは山口県下関市で呉服屋を営む家庭の長女に生まれる。幼いころから接客の姿勢、そして職人や美しい着物に触れてきた。

1988年、短大卒業後、企業の秘書課に勤務することに。
「バイトも含めいろんな仕事をするうち、やっぱり自分は人と関わりあう仕事が好きなんだな、と思うようになりました。そのうち、『文化に関わる仕事に携わりたい』と思うようになって、たまたま履歴書を送ったのがミヅマアートギャラリー(以下ミヅマ)でした。どうやら、履歴書に熱いこと書いたようで、それをオーナーの三潴さんが気に入ったらしく、オーナー面接なしで採用されたんです」。
それで、藤城さんは一年間、前の会社の勤務を続けつつ、土曜と平日の人手が足りない夜、青山へ出勤した。

そして、そこでかけがえのない人たちと出会うことになる。


■青春すべてを費やしたミヅマ時代
「ミヅマオープン当初のアルバイト仲間が、現・無人島プロダクションの共同経営者、妹沢(せざわ)奈美さんと、現在、作家の会田誠の妻であり、自身も作家の岡田裕子さんでした。3人とも同世代で気が合い、クラブで朝まで遊んだりと、しょっちゅうつるんでいましたね」。

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無人島プロダクションで個展をしていた風間チサコの作品「逆算の風景」の前に座る藤城さん 

ギャラリーの仕事は激務といわれる。約11年間も従事し続けた要因は、なんだろうか。また、長年、個性豊かな作家たちをマネジメントすることに疲れることはなかったのだろうか。

「激務がというより、どうしても納得いかないときとか、そりゃあ辞めようと思いましたよ。何度も(笑)。でも、やめなかった理由は、やっぱり作家ですね。素晴らしい表現をする人たちといつまでも並走していたかった。作家のマネジメントをしていると、時には憎まれ役になることも必要で、精神的に疲れることもあったけど、おもしろいことの方が断然多かったです」。
作家の表現を最大限尊重しつつも、「こういったやり方もおもしろいのでは?」と提案しながら、その作家に合ったプロモーションを考える。その際、作家とのコミュニケーションをいかに楽しみ、大切にするかも重大なポイントのようだった。
これは、現在の無人島プロダクションの精神にも受け継がれている。

「ミヅマを辞めなかったもうひとつの理由は、同僚がこれまた面白い人たちばかりだったから(笑)。ミヅマのスタッフはそれぞれ仕事以外にも個性の部分で役割があって。その中で互いにサポートし合い、言いたいことも思いっきり言いあえ、一緒に頑張れたのは非常にいい経験でしたね。みんな本当に根性があったし。とにかく、周りの人たちに恵まれたことが大きかったです」。

作家、そして同僚という名の「同志」。藤城さんのバイタリティーの源には、この二つがずっしりと存在しているようだ。


■いつも何かが足りないと思っていた
ミヅマで、藤城さんは実験的とも言える様々な企画を実現させてきた。

「現代美術の世界にはいつも何かが足りないと思っていました。たとえば、雑誌はほとんどがギャラリープレビューばかりでレビューがないとか。でも雑誌がなぜプレビューしか載せないか、っていう理由もよくわかるんです。でも足りない、と気づいたらそれを何とかしたくなる。その思いが『ミズゲイ』の発行に繋がりました。今はブログでいろいろ展覧会評を見ることもできますが、ミズゲイ発刊時にはそういったものはなかったので。でも「2号」で終わっちゃいましたけど……」。

また、なかなかギャラリーに足を運べない忙しい人でも土曜の夜なら……、という声から、土曜の夜から朝まで『りかBar』というバーをミヅマの展覧会スペースに不定期でつくった。こちらは、家で作品を観ながらくつろぐ感覚も体験して欲しいという目的もあり、多くの人の協力のもとおよそ2年間続いた。

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左:ミズゲイ第0号(2000/7/21発行)、右:ミズゲイ第1号(2000/11/17発行)
『ミズゲイ』はミヅマで開かれる展覧会のレビューをオープニング当日(!)に掲載して出す、というコンセプトで作られた新聞。オープニング前日から徹夜がかりで作成し、100円で販売された。しかし、あまりに過激なスケジュールのため2号で廃刊となってしまった。

今となっては笑い話のような出来事も、当時は、時間、労力など相当なエネルギーが必要だったと思われる。
「すべては、オーナーの度量と仲間の協力があってこそ実現した話です。本当に感謝ばかりです」。
しみじみ語る言葉に熱いものを感じた。


■重要なのは、こなす能力でなく生む能力
藤城さんのミヅマでの経験はかけがえのない宝であり、私たちにとっても勉強になる話がたくさんあった。よって、art dropsが対象としている若者(主に23〜32歳)がこれから生きて行く上で伝えたいコツやノウハウはありますか、と聞いてみた。

c0103430_055346.jpg「うーん、私の経験は多分スタンダードではないから……。でも、まずはとことん自分で考えてやってみて、ってとこでしょうか。その結果、何か問題にぶち当って自分で考えてもどうしようもない時、初めて何かお伝えすることがあるかもしれませんね。
ただ一つ言いたいのは『回り道にみえることも案外回り道ではないかもしれないよ』ってことです。
早いうち、若いうちからの成功を望んだってもちろんいいですけど、少しずつあがっていく楽しさだってあると思うし。今現在の評価だけにとらわれないでいこうよ、って思いますね。どんな経験も絶対血肉になる、と思えば、最初から近道を選ばなくてもいいのかも、と私は思います。だって人生にマニュアルはないですから」。
ミヅマ時代、どうすればもっと作品を紹介してもらえて、観てもらえるのだろうか、と自分の頭で必死に考え行動してきた、藤城さんならではの回答であった。

「重要なのは、こなす能力でなく生む能力だと思います。言われたことだけをやり、マニュアルにただ従うのでなく自分の頭で考えて実行すること。それで一回ぐらい失敗してもいいじゃん、って思います。失敗してよかった、教訓になったな、ってこといっぱいありますから。なんて、今だから言えるのかもしれないけど(笑)」。


■無人島プロダクション立ち上げ
2005年10月、自分なりにやりきった、という思いからミヅマを退職。「しばらくゆっくりしよう、と考えていた割に、すぐ無人島プロダクションの立ち上げに取りかかりましたね(笑)」。パワフルな内面を見た気がした。
無人島プロダクションは、ミヅマ時代のアルバイト仲間で、現在は音楽評論家としても活躍している妹沢さんとの共同経営となる。なんと12年ぶりに一緒に働くことになったわけだが、かねてから「一緒に何かしたい」と話していたこともあり、二人での仕事は順調のようだ。

「二人でうまく運営する秘訣は、互いの仕事の相談や報告を密にし合うことでしょうね。現在のカルチャーシーンについての現状や見解を言い合ってどういうものが求められているか考えたり。一人だけだと偏る可能性があることも、二人いることで一本芯が通りながらも、振り幅を大きくできるメリットがありますね。一つのジャンルややり方にしばられない、という意味では幸福なカップリングができたのではないかと思います」。
苦楽を共にした青春時代の仲間だからこそ、ちょっとしたことで分かり合える「何か」も存在するのだろう。

無人島プロダクションはギャラリーでなくスペースと呼ぶ。これはアート、とか音楽、といった言葉にしばられたくない、という思いが込められている。
「固まった枠のようなものをつくりたくないんです。作家にも表現に制限をしてほしくないですし」。

そういった思いの上、無人島プロダクションでは、イベントや展覧会、マネジメントなど行なってきた。

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無人島プロダクションの初リリースDVD、「UJINO and The Rotators」、2006 


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「八谷和彦OpenSkyテストフライトツアー」企画、2006 


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風間サチコ展」、2007
2007年12月、無人島プロダクションにて新作展予定。 



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できたてほやほや、会田誠の第三作品集「MONUMENT FOR NOTHING」の構成・編集。
グラフィック社刊 



「一人でも多くの人に、世の中にある面白い表現や人を伝えていきたいと思っています。DVDやプロダクツなどももっとリリースしたいですし、定期的にイベントを開催したり、そのほかにも、『セザワ教授のロック寺子屋』(笑)といったような講座とか、子どもを対象にしたワークショップなどもやりたいですね」。

やりたいことが大きく膨らむ無人島プロダクションは、まだまだ動き始めたばかり。今後の動きに是非とも注目したい。




■ 結び
インタビューを通じて、藤城さんは非常にパワフルな方だと感じた。そして、その源には作家や一緒に働いた仲間への深い愛情があると思った。現在、妹沢さんと無人島プロダクションの「頭」として活動するのにも、この本能的な深い愛情は大きな支えとなっているだろう。そして、どんなに大変でも自分の「頭」で考えて実行し続けたことこそ、今の藤城さんを作り上げたのだとも思った。

最後に「人の人生を「食べ物」というなら、アートはその食べ物に必要な、塩や砂糖といった調味料かなって気がします。塩分や糖分は人にはなくちゃならないでしょう。でもハーブみたいに洒落たものではない気がしますね。あくまでも塩とか砂糖(笑)。塩加減は人それぞれ。でもその人なりの楽しさというか美味しさをそれぞれが見つけることができるから」とおっしゃったのが、非常に印象的で妙に納得してしまった。



c0103430_074878.jpg藤城里香(ふじきりか)
1970年山口県生まれ
女子美術短期大学グラフィックデザイン科卒業後、一般企業で秘書をしつつ、1994年2月よりミヅマアートギャラリーに勤務。1995年4月からミヅマの正社員となり、会田誠や山口晃、松蔭浩之など多くの作家の活動を担当。
2006年5月、妹沢奈美と無人島プロダクションを設立。広い意味での「芸術」を楽しめるような活動をするため、作家のマネジメント、プロデュース、イベント企画など行なっている。
無人島プロダクション:http://www.mujin-to.com/

(これからの予定)
2007年7月4日(水)から8月11日(土)Chim↑Pom個展「オーマイゴッド」を開催。
夏の終わりから年内にかけて、八木良太や風間サチコなどの新作展も予定しつつ、新しいDVDのリリースなども考案中。

■手書き一問一答
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text:ドイケイコ、edit&photo:谷屋
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by art-drops | 2007-06-15 00:15
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