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色彩の原子
レポート

text:ドイケイコ

色彩の原子_c0103430_1933487.jpg幼いころ、理科の授業で「物質は原子という小さな粒でできている」と習った。その粒を肉眼で確認したことはないが、きっと小さくて丸くて可愛らしいのだろうな、と想像していた。
内海聖史の作品を観た時、ふと、そのことを思い出した。小さくて丸くて可愛らしい粒がうごめいているような作品には、まるで生命が宿されているように感じられ、なんだか愛おしい気持ちにすらなった。



今回、内海の作品を鑑賞したのは銀座、資生堂ギャラリーで開催された「第1回シセイドウアートエッグ」にて。こちらの展覧会は、資生堂ギャラリーが新進アーティスト支援を目的として2006年6月1日〜15日に公募をして集まった650件から3名の作家の作品を選出し順々に紹介していくものである。2007年1月12日からの平野薫展をかわきりに、2007年2月9日からは水越香重子、そして、2007年3月9日からは内海聖史の作品を紹介していった。中でも、私にとって内海の作品はひときわ印象的であった。

内海の作品はふたつ展示されていて、ひとつは小さなドットが無造作に描かれている5cm四方のキャンバスを等間隔で壁にびっちり並べられたものである。ドットの色はひとつのキャンバス内に同系色でまとめられており、ドットのサイズは綿棒の先程度でプチプチした粒のように感じられた。ギャラリーの入り口へ降りて行く階段にそっと足を踏み入れると、正面の壁から色彩たちがざわざわっと一斉にささやきかけてきた。実際、遠目で小さな粒を確認することはできなかったが、様々な色に溢れた小さなキャンバスが無数に目に飛び込んで来て、そんな感じがした。
あまりにきちんとキャンバスが並んべられていたため遠くからは一見CG作品のようにも観えたが、近くに寄ると細かい粒が無数に人の手でほどこされていると分かり、その一世界を生み出した作家自身に対して「すごいなあ」と感動すら覚えた。

もうひとつの作品はかなりの大作で、ギャラリーの受付を過ぎてすぐ正面の壁にでんっと飾られていた。こちらも平面作品で丸いモチーフがいくつも散りばめられた作品なのだが、円の大きさが野球ボールくらい大きかった。全体的に青系色でまとめられており、近くに寄ると大波に飲み込まれたような迫力ある作品である。しかし、不思議と恐くはなかった。たぶん、いわゆる波の絵は先っぽがギザギザ尖っているが、この作品はすべて丸い球体で表現されていたからだろう。といっても、そもそも、作品を大波と解釈したのは個人的な直感の話だからギザギザなんて最初からあり得ないだろうが。。
心理学上、丸い形は人に好感を持たれやすいと聞いたことがある。作家がその効果を意識したかは定かでないが、とにかく内海の作品を観ていると安らかな気持ちになった。

また、こんなにも作品に惹かれる理由として、美しい自然の木々や草花を観ている時の感覚に似ていることが考えられた。冒頭で「物質は原子という小さな粒でできている」と書いたよう、粒や円が自然界の植物や波などの原子のように観えた。ひと粒ひと粒はきらきら自然光をまとっているようで、そして、みずみずしい生命を感じてしまった。
ふと、光の粒、動き、変化の質感を意識して表現されたモネやルノワールなど印象派の作品に似ている部分があるのでは、と思った。何年経っても多くの人たちに愛される彼らの作品と共通点があるのならば、内海の作品も多くの人たちに喜びを与えることができることができるのではないだろうか。

いわゆる現代美術の作品は表現方法も感じ方も多様化していて、そこが面白いと言われる反面、分かり辛い、難しいと回避されることも多い。だからこそ、素直に美しい、きれい、と感じることができる内海の作品のようなものは貴重だと思う。ただ、そのツボは人によって違うと思うが、こういった作品をきっかけに他の美術作品も観たい、と思う気持ちが芽生える可能性は低くないだろう。
閉鎖的と言われる現代美術界を救うのは、他ならぬ美術の力であると思った。
by art-drops | 2007-03-13 13:48 | レポート
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