インタビュー初回特別企画vol.1 パフォーマンスアーティスト/ 丹羽良徳さん 
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発達したメディアの中で活動する意味合いを求めて

鶏と対話を試みたり、街なかの水たまりの水を飲んでみたり。一見、不可思議なパフォーマンスの受取り方は鑑賞者次第。見据えた先は何か分らなくとも体から発するメッセージで周囲の空気を充満させていく。見据えている先は何なのか。充満させているものは何であるのか。パフォーマンスアーティスト 丹羽良徳さんは自分の体をメディアとして活動をしている。




■衝撃を受けた「ゼロ次元商会」
丹羽良徳さんは1982年愛知県生まれ。東京芸大の音楽科を卒業した祖父と、写真家の叔父の影響が自然と美術の道へと導いたのではないかと振り返える。「特に影響を受けたのは写真家の叔父なんだ。10代後半の頃、叔父は名古屋の美術の人達と一緒に色々やっていたらしく、名古屋を拠点とする『ゼロ次元商会』と関係があったんだ」。
「ゼロ次元商会」とは、東が赤瀬川源平の「ハイ・レッドセンター」とするならば、西の「ゼロ次元商会」と言われるほど名を馳せていた名古屋を拠点とした60年代の伝説のハプニング集団。そのパフォーマンスは、名古屋の路上を裸で芋虫のような状態で這いずり廻るような過激な代物だったといわれている。
「『ゼロ次元』を15歳くらいの時に初めて知って、その後に実は叔父が関わっているのを知って、『おお』と思ってやる気を出したんだよ。自分が思っていることをしている人がいる!って」。この気持ちは、まだ何かは分からないけれども美術への道へと志す足がかりへと繋がっていった。


■自分の考えが既成のもに当てはまらなかった高校時代
「生きることに困ってたんじゃないのかな。言葉にはならないけど、やっぱりこのままじゃいけねえって高校生なりに直感で分かっていたんだと思うよ。色んなことやってたよ。美容院にいってさ、切られた髪の毛を集めて、帽子につけてライブとか」。高校に進学すると、丹羽さんは自身の考えに共感してくれる仲間達に遭遇。仲間と放課後に「ゼロ次元商会」を夢中になって調べ、討論会を行った。また、一連の交流は、時には言葉だけでは終わらず、文字となり映画批評を載せた新聞の発行や音となり反婆具(はんばあぐ)という即興バンドの活動にも発展していったのだった。
そんな高校生活を送りながらも、月日は平等に経っていく。将来の鉾先を考えていかなくてはならない。「高校一年生くらいまではデザイン科にいきたかったんだ。もともとインテリア・デザイナーになろうと思ってさ。まず、中学生って美術を仕事にしようとしてもどうしたらいいかわらないじゃん。そんな頃、学校の先生か周りの誰かにインテリア・デザイナーになれば儲かるからなれっていわれて。でも、高校にいって美術の塾のデザイン科にいくようになって、このままだと資本主義に巻き込まれるって思って目指すのをやめた。これは思想が違うって。自分が考えていることを、100パーセント実現することを考えると、デザインとか既成のものでは対応できないと思ったんだ」。大学は映像演劇学科へと志すことになった。


■方向性を求めて開拓した大学時代
その後、映像、もしくは演劇を学ぼうとする人達が籍を置く多摩美術大学の映像演劇学科に所属。しかし、同じスタンスの人はいなかった。「僕が異端児みたいに言われて、よく学校で怒られていたね。でも、まあ、途中から君は自由にやってもいいよって言われたけど。最初の一年はちゃんと映像を制作していたけど面白くなかったね。途中で映像を作るのを辞めて、パフォーマンスとかやってたよ。仲間は楽しかったけどね」。向かって行きたい方向への試行錯誤は連続した。「演劇が嫌いだったんだ。演劇はストレートプレイ。セリフ、役者、練習がある。そういったヒエラルキーの中ではなく、もっと自由な作品を作りたかった。そこで、新しい感覚のパフォーマンスを作品としたが、先生には受け入れられにくく、揉めることもよくあった」。
大学内で共鳴してくれる仲間達とパフォーマンスをしたが、埓があかないと思っていたところ「ニパフ」というパフォーマンスアートフェスティバルに出会った。ニパフとは、「日本国際パフォーマンスアートフェスティバル」のこと。その代表霜田誠二氏との出会いをきっかけに、パフォーマンスの場は学内から海外へと広がり、大学2、3年の頃、霜田氏とハンガリー、ポーランド、スロバキア、セルビア・モンテネグロ、フランスを巡回した。

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インタビュー時に当時を語る丹羽さん


■今の状況を知るために
「大学の講義で補えなかった思想的なことは、本を読むしかなかったね」。早くから海外に渡り公演をしたためか、「ゼロ次元商会」を足がかりとしたためか、丹羽さんのお話には社会的エッセンスが介在する。周囲を取り巻く枠組みの構造を「知る」意識は人一倍だ。今読んでいる最中の[ 基督(キリスト)抹殺論 幸徳秋水 ]という本を例えに、「こいつは面白いよ。キリストを抹殺だぜ。文字が今の口語と違うから相当きついけど。内容が面白いのではなく、なぜ彼が『基督抹殺論』を書かなくてはならなかったのか考えるのが面白いんだ。時代背景と、人物が追いやられた過程を分析したかった。政治的な本を読む理由は、パフォーマンスには思想的なことが重要だからだね」。
過去を知るだけではなく、現状も分析している。「今の時代には、関係性が重要だと思うよ。メインストリームが消失し、メディアも1本ではないし、一人一人がブログを立ち上げたりしてメディアを持てるじゃん」。一見同時多発的に様々な場所で一つの発言や主張ができる現在。それはそれで、一つ一つ社会の役割があるし、個人の活動はしやすくなるのではないか。「そういう時代だからこそ、逆に世界が複雑化して見えなくなってきていると思うんだ。僕はもう少しひいてみて、この発達したメディアの中で自分が活動するのはどんな意味合いがあるのか、もう少し冷静に見ていたいと思っているんだよ」。
丹羽さんは、さらに付け加える。「誰もがメディアを持てるようになると、発言が趣味的になる。趣味というものは、干渉しないものだから僕は僕でいいのだと思う人が増える。お互いの意見を言いあって、思いを共有することなく他者とのつながりが切れていくと、社会の意味が変わっちゃうんじゃないのかって思うんだ。誰もがお互いを理解しあわず、自分さえよければそれでいいという世の中になるような気がするんだよ。だから、今のこの状況を理解するにはどうしたらいいのかと思って、僕はちょっとさかのぼって明治から考えている。もちろん、今の本も読んでいるよ。今の状況を知るために。今の状況をもっと把握したいから」。


■自分以外の価値観がある
このようなバックグラウンドを持つ丹羽さんに代表作を2つ挙げてもらった。
代表作Ⅰ. 04年6月から12月までのパフォーマンス記録。
「本当に日本で鳥インフルエンザが起って、メディアは鳥に近よるなって話をするわけね。じゃあ、僕は、鳥に何を話せるのかって鳥のところに行って話をしたんだよ。で、鳥インフルエンザと同時に世間を騒がせていたのはイラク戦争。そこで鳥にイラク戦争を説明しにいったんだ。黒板を持って鳥にイラク戦争を知っているのか、って聞きにいったっていう作品」。
同時期に世間を騒がせた2つの問題。『イラク戦争を鶏に説明したら分かるのか』を命題とした。「だけど結局、鶏に分かるわけがないんだよ。それはそれでいいんだよ。鶏のために作品を作っているのではなくて、分かんないことをやっている人間がいるっていうことを分かってくれという作品なんだから。自分以外の価値観があるんだよっていうことを伝えかたったんだ」。つまり、世の中には自分を理解できない人間がいるという前提なしで行動しているアメリカを比喩して、鶏に人間が話しかけても通じないように、自分のことを理解できない人間がいることを分かって欲しいということだ。

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代表作Ⅰ. 「ヤンキー養鶏場」   (丹羽良徳アートプロジェクト/パフォーマンス実行サイトより)


代表作Ⅱ. 水たまりの水を口に実際含み込み、他の水たまりに移しかえるパフォーマンス。
大学時代に赴いたセルビア・モンテネグロにて「内戦のあったこの地で日本人の僕に何が出来るか。水たまりを飲むしかねえじゃん」。ふと思いついて出来た作品だ。始まりは思いつきだが、「パフォーマンスをした地は、東京、横浜、ベルリン(ドイツ)、ノビサド(セルビア・モンテネグロ)、サンフランシスコ(アメリカ)、ロンドン(イギリス)、オックスフォード(イギリス)。これは何の告知もせずに、雨が降った次の日、水たまりのあるところに行って、水たまりの水を口で全部移しかえるというのをやっているだけなんだ。その都度、記録をしてアーカイブ化し続けている未完成の作品なんだよね」。今後も続けてアーカイブしながら記録を溜めて、一つの作品として完成するのではないかとも推測している。
「ヤンキー養鶏場のようなメッセージはないよ。発達した街のなかで何か飲んでいるという無駄な行為をしている人間がいるんだという作品なんだ。でも、続けていくことによって、メッセージは見つかるかもしれないね」。いずれヤンキー養鶏場のように、一つのダイナミズムが生まれることも否めない。

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代表作Ⅱ. 「水たまりAを水たまりBに移しかえる」   (丹羽良徳アートプロジェクト/パフォーマンス実行サイトより)


■自分の思う優しさを 
art dropsでは若者(主に23〜32歳)を意識して活動しているため、丹羽さんに現代の若者について伺った。
「もっと優しくなって欲しい」。と言う丹羽さん。「丹羽さんにとって優しさとは?」重ねて問うと、「優しさは僕の中心だよ。人に優しくすること。人に迷惑をかけないかな。それぞれの持っている優しさを覚えていて下さい。自分の思う優しさということを覚えていて下さい」。穏やかな表情で、はにかみながら答えてくれた。


代表作「水たまりAを水たまりBに移しかえる」にて食中毒になっても、全く恐怖心がないと語る丹羽さんをメディアとして見えてくものは何なのか。今後の活動が楽しみだ。「まずは、アクションありきだよ」。インタビュー中につぶやいた一言が忘れられない。



■artdrops的FAX一問題一答
[art drops(オカッコ)と丹羽さんによるFAX往復手書き一問一答シート]    

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Q. 丹羽さんにとってアートとは?
A. 社会活動を自分なりの方法でやっているのだと思う。

Q. 原動力をお聞かせ下さい。 
A. たぶん血が騒いでいるのだと思う。どうやって死ぬのか考えている。                               

Q. オススメの本を教えて候 
A. ①基督抹殺論(幸徳秋水)②帝国を壊すために(アルンダティ・ロイ)
   ③ポストコロニアリズム(本橋哲也) 

Q. 好きな食べ物は?
A. アジア料理全般

Q. おすすめの場所も教えて下さい 
A. ①ベルリン(ドイツ)②クラコフ(ポーランド) ③渋谷(日本)④ブタペスト(ハンガリー)

Q. 共感するアーティストを教えて下さい
A. 島袋道浩、ゼロ次元商会、幸徳秋水、大杉 栄、青木さやか、王晋



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丹羽 良徳(にわ よしのり):1982年愛知県生まれ。
1999年即興音楽グループ「反婆具」(アルファベット表記:HUMBERG)結成。
2005年多摩美術大学の映像演劇学科卒業。パフォーマンス・アート活動を国内、および海外にて行っている。国際フェスティバル「Artist as Activist」など、今後も数々の国内・国際フェスティバルの企画/参加を予定している。
好きな言葉:人類
丹羽良徳さんご本人のサイト「丹羽良徳アートプロジェクト/パフォーマンス実行サイト」はこちら  


(今後の活動予定)
今年の3月9日には、「サンキューアートの日」の一環で高円寺Space RABI ADESSOにて10分限りの「ハイパーまくら投げ大会」を行う予定。
また、今年の10月中旬にはパフォーマンスアートを中心とした、7名のアーティストが招待される国際フェスティバル「Artist as Activist」を東京のパブリック・スペースで行う予定。会期中には日常に一石が投じられるであろう500人の渋谷駅での枕投げ大会や、東京のビルを皆で登ろうという企画がある。


text:オカッコ、edit:金子きよ子/ドイケイコ、photo:ドイケイコ(代表作Ⅰ. Ⅱ.を除く)
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by art-drops | 2007-03-01 22:27
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